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  • 執筆者の写真YCARP

【ミーティングレポート】第17回「支援者の視点で変わる、障害を抱える当事者と家族の人生~こども・きょうだいケアラーと作業療法士の視点から~」

更新日:2023年11月28日

第17回定例ミーティング(2023年8月28日) 話題提供:仲田海人さん

テーマ:「支援者の視点で変わる、障害を抱える当事者と家族の人生

~こども・きょうだいケアラーと作業療法士の視点から~」

〇自己紹介

作業療法士8年目であり、生活の場面(グループホーム、入所施設)に関わる仕事をしている。今年度から千葉に移り住み、フリーランスで千葉と栃木をいったりきたりしている。趣味は釣りやバイク等。

〇幼少期~高校時代の家庭の状況 小学校高学年の頃、3歳上の姉が中学生の頃にいじめを機に心の病と不登校に。姉には妄想の症状がみられたが、家族には精神疾患の知識がなかった。姉は20歳の時に統合失調症と診断を受けたが、それまでは適切な支援が受けられていなかった。

父は躁鬱とDVで姉と相性が悪かった。学校から帰ったら警察がいたり、姉が包丁を持ち出したりしていた。隠れることしかできなくて、自分を守るために倉庫で寝起きするようになった。両親はいまでいう「面前DV」のような状況だった。子どもの時からきょうだいとして・子どもとして心的外傷を感じていた。 夜に幻聴で眠れない姉の話をきく日々が続き、夜更かしして学校生活に影響が出ていた。

家族団らんが全部嫌な時間だった。姉のことがあってから、車の中で喧嘩が始まるため家族旅行は行かなくなった。受験期に入って勉強面で友達と比べて不公平だと感じていたし、この生活がずっと続くのかという絶望感があった。


〇周囲とのかかわり 高校生の頃に家族以外の大人(担任の先生)に相談してみたが、先生を困らせてしまった。スクールカウンセラーには「心の整理の手伝いはできるけど家庭に介入できない」と目の前で泣かれてしまった。相談してもどうにもならなかった。スクールソーシャルワーカーはいない時代だった。 姉は車の運転免許ももっていたが運転を禁じられていたため、母が付き添いを求められた。また姉からは自分が学校生活を送ることができていることや母が周りと交友関係を築いていることを羨ましがられていた。このような生活のなか、家族でみることの限界を感じていた。姉が入退院を繰り返すなかで、姉の主治医・相談支援専門員・外来のソーシャルワーカーにも相談したが、この地域にはグループホームがないため家族でみるか/入院かといわれた。この時にある意味「覚悟」が決まったが、これだけSOSを求めてもどうにもならなかったことから、時代を変えていかないとという使命感をもっている。

嬉しかったことは、自分の健康を守ることを最大限に支え優しく接してくれた養護教諭の先生の対応。校長先生・教頭先生の理解を得て、早退・遅刻などもしていた。

〇進路選択について

もともと工学部志望で勉強していたが、家族のこともあって作業療法士をめざした。色々な手段を使って生活を支えるという理念に共感した。進路について、メディアでは「夢をあきらめた」といわれるが、自分で選んだものだと思っている。

当時やりたいと思ったことを、自分の気持ち次第でいつからでも始めることが大事。大事なのは自分で選択すること。

〇社会人になって

社会人になってから、父親の代わりに姉の医療保護入院の保護者になり、病院との話を進めやすくなった(そうせざるをえないからという部分もあるが)。 医療保護の退院支援会議が半年に一回開催することが法律上定められているが、栃木県の場合は家族への連絡をしない病院がいくつかある。病院に「会議をなんでしないんですか?」ときいたら、病院は焦って対応していた。家族の希望としても自分の希望としても姉を経済的に自立させたい・グループホームに退院させたいということがあったが、グループホームを探す気もない、退院させる気もないどころか、将来のケアラーとして期待されてしまった。家族自身がグループホームを探さないといけない状況(社会的入院や退院支援が進まない状況とも関連する)。 大学卒業後、4年かけて有給なども消化しながら姉のグループホームの入所にこぎつけた。那須塩原から宇都宮までいってもなかなか空きがない。グループホームにつながるまで、姉は5年入院していた。自分自身のこともあるが、まだ20代である姉のことを考えていた。夕方以降は病院に連絡がつかないので、昼休みに電話をかけまくっていた。 〇支援者はなぜきょうだいに親役割を期待するのか ・ジェノグラム(家族関係図) 支援者の思考に家族がとりこまれている。親なき後は家族の役割をきょうだいが担うと考えるケースがある。合理的だけど当事者の立場からすると非情なこと。それまできょうだいとしての気持ちをきかれることはないまま、役割だけを求められる。しかも両親で分担できていたケアのキーパーソンと経済的基盤を一手に引き受ける場合もある。

・エコマップ(近所、パートナー、グループホーム、趣味仲間などインフォーマルなつながり)

キーパーソンは内容によって変わってもいい。家族は本人を取り巻く1要素でしかない。 ※現在の状況と構造的課題

令和3年に父に神経難病があることが発覚し、父は退職に追い込まれてしまった。両親は経済的にも厳しくなってきている。20代にして姉のことに加えて父のことも担う、ダブルケアの状態で、家庭や子育てのことを考えるのが難しい。ダブルケアどころかマルチケアになってしまうような状態。「昔はきょうだいの世話や家族で助け合うのは当たり前だった」という意見がよくあるが、時代は変化して核家族化し夫婦がともに家計を支え子育てをしているため、構造的な課題である。自分の親や相手の親を頼れないという状況。

〇「ケア」と「お手伝い」の違い その役割に「責任」があるかどうかと思っている。ヤングケアラーを類型化したイラストにあてはまらないケースは違うと考えられてしまうのは危険。遊ぶことでさえも天秤にかけたときに家族のことが優先されてしまう状態、やりたくない時に離れられない状態は子どもの権利が守られていない。「ヤングケアラー」の問題とはケアという行為そのものよりもそうしたマインドだと思う。


〇きょうだいケアラーの実態と親支援・家庭支援を見据えたサービス設計の必要性 中学生で最も多いのがきょうだいのケア、つぎに多いのが両親のケア、ケアときいて最もイメージされる祖父母のケアは3番目。夫婦共働きとひとり親家庭が多い時代、きょうだいの支えあいが必要な社会構造である。デイサービスの送迎等、親が担わないといけない役割が多い。親も含めて安心できる第三の居場所、親支援・家庭支援が大切だと感じる。ファミリーサポートの利用料は1時間800~900円かかるため、使っている家族をあまりみたことがない。経済的に余裕のある家庭しかサービスを使えない。


〇那須塩原市の取り組み 高齢分野以外も含めた地域包括ケアシステムを構築するための官民連携の共同体「にしなすケアネット」で話をする機会があった。ケアラー協議会を立ち上げ、月1での会合を行っているほか、市民への啓発、相談、中高での啓発活動、幼稚園のログハウスをつかった居場所づくり、シンポジウムの開催、栃木県ケアラー支援条例や那須塩原市・鹿沼市でのケアラー支援条例に関する活動を行っている。

※活動するなかで感じていること 学校での啓発活動については現場の理解と協力が必須である。ケアラーLINE相談については顔の見えない関係では相談が少ないため、いかに日頃から顔の見える関係性をつくるかが大切である。行政の相談窓口は当事者のためでなく関係機関のためのものになっている。条例については、本文が大切である。予算や効果検証のための調査など、強制力のあることについて書かないと理念条例になってしまう。

〇国の動きについて感じること

研修に関する予算が増えており、ヤングケアラーコーディネーターのための補助もでているため、今後ますます自治体での研修が増える。当事者のためのSNSを使ったオンラインサロンは、接点をもちやすいが深く話しにくい特性がある。ピアサポートについては、補助を申請するために法人格をもっていないといけないため、任意団体でもサポートを受けやすい体制が必要である。 ヤングケアラーコーディネーターについてはつないだりニーズを聴きとったりすることはできるが、その先のサービスが存在するかという疑問がある。家族や親も含めた伴走支援や、サービスの利用状況の見直しが必要である。イギリスでは学校の一室を当事者向けに開放する取り組みがあり、そうしたことから地域のピアサポート団体などが学校に入れる仕組み・雰囲気づくりを学ぶことができる。新しい箱を作る必要はないという意味でも、地域の潜在的な元ヤングケアラーにスタッフとして働いてもらうという意味でもいいことだと思う。また、ヤングケアラーコーディネーターについては、県域と比べて密な連携ができるように市区町村単位での委託・採用できるように動くことが必要。スクールソーシャルワーカーとの棲み分け・連携と行政の役割分担も必要。

〇子どもたちとの関わりについて大切なこと

ライフステージによって家族内のバランスは絶妙に変化するので、子どもたちの考え方・感じ方も変化していく。良かれと思って支援するのは危険。


※ヤングケアラーの心理をABC分析した場合 A:先行条件(ケアが必要な状況・親に助けが必要で親に認めてほしい、注目してほしいという気持ち)、B:行動(手伝う・肩代わりする)、C:結果(ケアを続けることで「ありがとう」と褒められて次回も期待される)

要対協で把握されるケースの手前に、支援をすぐさま必要としていない状況や困り始めている状況がある。状況の変化によりあきらめなくてはいけないことがでてくる黄色信号を見逃さない日頃の関係性が大切。また、ケアラーが主体性をもって選択するためには、ケアを受けいれても拒否してもいいという選択と人格を認められる経験が必要である。子どもに関わるうえで「ヤングケアラー」という言葉をあえて使う必要はない。

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