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  • 執筆者の写真YCARP

【イベントレポート】第19回定例ミーティング「ケアがあっても自分の未来(キャリア)を描くためにできること」

第19回定例ミーティング (2024年1月27日)

話題提供:八木尚美さん

テーマ:「ケアがあっても自分の未来(キャリア)を描くためにできること」



☆テーマの前に

⇒話の中で家族を否定するつもりはなく、感じた事・考えた事を事例として提供させて頂く


〇自己紹介

・元ヤングケアラーで、障害者の弟がいるきょうだいとしての現役ケアラー

・オンラインカウンセリング、ヤングケアラーや若者ケアラーの居場所を開催


〇きょうだいとして感じていた不安

 物心がついた辺りで2歳下の弟が誕生。難病を持っている事もあり、病院通いや入退院を繰り返す日々がつづいていた。幼少期の記憶では、大きな病院の待合室で弟の治療が終わるのを待っていて、その周りにも同じように待合室で待っている男の子や女の子がおり、私と同じような子がいるんだなという思いを持っていた。この頃はそれが不思議だと感じる事はなく、当たり前の事だと思っていた。

 この頃に不安に感じていた点は、出かけた時に障害者と歳をとったご両親が連れて歩いている姿を見て、「数十年後の我が家に訪れる事なんじゃないか。その時私はどうしているんだろう、私が面倒を見ているのかなあ」という将来に対する事だった。この不安の原因を後から考えると、その当時は弟の病気の事を親から詳しくは聞いていなく、詳しい話がわからなかったため「今何が起きているのかわからない」という状況が不安を生んでいた。この経験から、親もわからない事かもしれないが、わからない事は子どもにも共有して欲しいと思う。何が起きているかがわからない。だけど弟の面倒を見ないといけないという我慢をしなければならない環境があり、その状況に対しての不安があった。

 本人にしっかりしているという自覚はないが、周りからはしっかりしているように見え、「お姉ちゃんがいるから安心だね」と言われ続けた。これはつまり、周りからは私がずっと弟の面倒を見ていくんだなという視線であり、期待であった。それに対するプレッシャーが辛く感じる事があり、心が落ち着かない事が多かった。「期待しているね。大丈夫だね。」という言葉はあまり言って欲しくないキーワード。

 親から貰った一冊の本に関してもあまり見たくない苦しい内容の物だった。具体的には、「障害を持っている弟を姉が面倒を見て、将来看護師になる」というもの。冒頭部分で読むのをやめる程であったが、それは親からの期待の大きさ、求められている事の大きさも感じての事だった。また、小学生の頃に障害者施設から来た人たちが話した内容により、将来的なお金の面の不安が強くなった。就労継続支援B型事業所等での月額賃金の低さを聞き、周りの児童とは違う感想を持つことになり、不安が強くなったとの事。このように、幼い頃はずっと不安が尽きず、それも明確な不安ではなく将来の事等のぼんやりとした不安だった。


〇母のケアが始まる

 中学校終わり辺りから母の体調が悪化、その後入退院を繰り返す事になる。最初の頃は祖母が広島から時々来てくれていたが、簡単に往復できる距離ではなく徐々に頻度が下がると同時に、自身で家の事もするようになっていた。この頃は家族全員の不安が強く現れていた頃で、「大変な時期に入ったなあ」という実感。更にこの頃、自分自身のホルモンバランスの乱れ等の症状が少し強く、毎月訪れる度に寝込んでしまう事に。ケアしないといけないのにケアができない状態にもどかしさを感じていた。この経験から、今は更年期への不安が強くある。

 また、母親のケアが始まって以来、衰えていく姿を見ていく事を受け入れるのに時間がかかり、心の負担となっていた。それでも弟に不安な姿を見せるわけにはいかず、心が落ち着かない状態だった。母の衰えが進むにつれて、母は弱音を吐く事が増えた。それを聞くのは弟ではなく働いている父でもなく自分であり、その気持ちを受け止める事はなかなか難しく、涙する事も多々あった。この頃は、今のようにネット相談等も普及しておらず逃げ場所がなく、自分の気持ちのやり場に困っていたとの事。学生である自分の中での葛藤や周りの子たちとの比較の中でメンタル面がすごくしんどい時期だった。

 短大を卒業後、公共図書館の図書館司書の免許を取れた事から、公共図書館で働く事になる。図書館を選んだ理由は、土日は仕事で平日に2日間の休みというルーティンであり、市役所や銀行にも行けるため。就活中の悩みであった「休みをどうするか」という問題も解決、土日が休みの父親と休みを分ける事で色々分担する事が可能に。一方で、このように家族中心の働き方になっているのは今もあまり変わらない現状であり、もどかしさを感じている。

 また、この時に働く事を選択した事で、母と少し距離をとることができ、お互いの心の負担感が減った。更に職場が図書館であるという点を活かして、女性誌や様々な本に触れるきっかけになった。その当時も、介護問題についての特集がありそこで初めて、「介護で困っているのは自分だけではないんだ」という発見があった。他にも家事本や様々なノウハウを本を通して知る事で、それぞれ大人の人も悩みを持っているんだという事に気付いて気持ちが楽になった。働くという事を通して社会に出る事で世界が広がった。

 働き始めてまもなくして、母が亡くなった。そこから四十九日も経たないある日、とてつもないくらい身体が動かない日があり、その日「こんな人生で終わってしまうのか」とふと思ったとの事。それでも、それはすごくもったいないと感じ、「一度きりの人生だしチャレンジしてみたいことはやってみよう」という思いに転換。不思議な一日だったという。


〇子どもたちとの出会い

 その後、学校図書館での勤務が開始。子ども達の中には、今で言うヤングケアラーや虐待を受けている子、障害を持っている子達もいた。そこで、私よりもしんどい思いをしている子がこんなにもいるんだという気付き、明るい未来を描けていない子ども達が多数いる事を知った。そんな子達を目の前にして、何もせずに黙って見てていいのかなという気持ちが芽生え、このまま次の人にバトンを渡すのはどうなのか、と思い、国家資格であるキャリアコンサルタントに出会った。子ども達の伴走ができればという思いと、気持ちを吐き出す場所を何とかして作りたいという気持ちがあった。図書館に来る子ども達が、日頃の愚痴等を話してくれる事が多かった事が影響しての気持ちの芽生えだった。その中でも、専門知識もあった方が良いと思い国家資格を取得。社会を知る事で心が軽くなった自身の経験を元に、就職だけでなく人生をサポートしていきたいという思いに。


〇ケアと仕事の両立(カウンセリングから)

 様々な葛藤がある中で、最も悩ましいものの1つがケアと仕事の両立。例えば、50代~60代と、定年間近になって初めてケアと直面して悩む人もいる。情報の少なさやどうしたらいいかという不安がこの歳になって初めて感じるという事、なかでも、悩みとして多いのが、「暮らし方」についてである。ケアがある、でも仕事をしなければならないという葛藤の中で、日々の生活から治療費、住居や教育費のローン等がある人もいる。ケアが始まると、仕事を「続けるか」「思い切って辞めるのか」「働き方を変えるか」という大きく分けて3つの問題が出てくる。人それぞれのため、正解は一概にはない。

 一方で、高齢になってから初めてケアを経験する場合、相談先がわからなかったり、勤め先の介護休暇に対して無知である場合がある。辞める事に関しては、辞めた後の生活費についても考える必要があり、いつまでという期間がわからないのが介護であるため、「仕事を辞める」という考え方はあまりおすすめはしていない。

 リモート化等の働き方も進む中で、ケアがある人への理解を進める事も重要だし、「話しやすい」「帰りやすい」「休みやすい」という環境を整えていく事が大切だと感じる。子育て時等の保育園からの急な呼び出しもあり、帰りやすいという点も「ケアと仕事の両立」では大切になってくる。人生100年時代の中、ケアと仕事の両立は今後も社会から切り離せない事になるため、その中で生きていく方法を考えていく事も大切。社会と分断すると、必要な支援も受けられなくなってしまう。ケアと仕事はあって当たり前という事を念頭に置いて支援に当たっている。


〇自分の人生を楽しんで生きるには

 ヤングケアラーについての報道が増えてきた中で、家族の方から「ヤングケアラーになっちゃいけないんですか」という声も出ている。ヤングケアラーにならせたくないという保護者もおり、プレッシャーを感じる中で生活している人もいる。そうなると子どもにもプレッシャーがかかる。自分も経験しているように、お互いにプレッシャーを感じている状態では人生を楽しんで生きる事はできない。ヤングケアラーになってはいけないのではなく、小さい頃からそうである人もいる中で、「互いに煮詰まらない環境をどうやって作っていくか」が重要になる。徐々にではあるが、ヤングケアラーの支援も整いつつある中で、親がヤングケアラーにさせちゃいけないというプレッシャーを感じない環境を作っていけたら良いと思う。

 また、ヤングケアラーの報道の仕方は今後も課題となる。もちろん大変な子もいるが、視野を広げると楽しんで生きている人もおり、介護と仕事を両立しながら生きている人もいる。一概に思い詰めた人たちばかりではないという事は強調する必要がある。自身も楽しんで生きていくために、周りを巻き込んでいくという所を意識している。自身の最終目標である、「ケアがあったけど楽しい人生だったな」と思えるためにいまできる事をしている。溜め込まずに吐き出して、自身のようなしんどい思いをして生きていく人が一人でも少なくなればいいなという想いを持って、サポートしている。

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