第16回定例ミーティング(2023年7月22日)
話題提供:松岡園子さん
テーマ:「若者ケアラーから大人ケアラーへ~20代・30代・そしてこれから~」
〇プロフィール ケア経験者。10代から経験してきた統合失調症の母との暮らしを語る活動、執筆活動を行っている。これまで京都市、尼崎市、神戸市などの依頼を受け、研修会での事例提供を行ってきた。
〇家族構成
英語の先生をしているお母さん、祖父、祖母の4人暮らしだった。
小学5・6年生ごろ、祖父母の他界を契機にお母さんと2人暮らしになったときに、独言などお母さんの様子が徐々におかしくなり(後に統合失調症であることが分かる)、日常生活やコミュニケーション等に支障が出始めた。
〇10代のころ
中学1年生のころ、お母さんと2人での暮らしが始まった。当時はまだ社会的に統合失調症に対する認識が不足している時代であり、10代の時はお母さんの病気に関する知識を持っていなかったが、近所の人や友だちのお母さんたち、子ども会の人たちの助けを借りてうまく乗り切っていけた。ただ、お母さんの不調は続いていたので、遅刻や欠席等学校になかなか行けなかった。中学を卒業した後は、定時制高校に通いながら働きはじめた。お母さんもこのころから少し落ち着き始め病院に通い始めた。
ヤングケアラーのイメージとして、ケアの比重が大きくなってしまい、勉強や、友人との時間、やりたいことなどが後回しになってしまうことが多くなるが、松岡さんの場合は、ケアだけではなく、やりたいこともあきらめずにやるということを大事にしてきた。友人と遊ぶ時間など自分のストレス解消の時間を大事にしていた。ケアは必要だけれどケアの比重が圧倒的に大きくなっているわけではなくこの点は今も続いている。
10代のころは、法律に関すること、お母さんの病気について知ること、中学校を転校する際の手続きのような行政手続き、自分ではどうにもできないトラブルの相談・解決、自分が病気などで動けないときの対処等に難しさがあった。ただ、こうしたことは周囲の信頼できる大人に相談し、アドバイスをもらうことができており、大人の知恵を借りながら乗り切っていけた。
〇10代から20代へ
若者ケアラーから大人ケアラーになっていくにつれ、ケアを持ちながら出産と育児、仕事と家庭の両立、母の通院・入院など役割が増えていった。大人になるとケアと両立しないといけないことが増えていく。何かしら助けてもらう先がないと大変であり、大人になったから楽になるとは言い切れない。
働き始めてからも、お母さんからの助けを求める電話が多かった。10代のころからの変化として、事前にお母さんのことを職場に話しておき早退しやすいような環境づくりをしていた。また、母からの電話を受けてすぐに帰宅するのではなく、母にも自分自身で不調に対応してもらい、母の不調に振り回されないような対処法を身につけていった。
出産のときはサポート機関も増えていたので、公的サービスの活用など自分以外の母親の頼り先を増やしていくように考えていた。20代では自分の意思ですぐに動きたいように動けることが10代との違いだと思う。20代はこれまでの経験が自信にもつながっていた。
〇20代から30代、そして40代へ
30代では、ケアに加えて家事・育児・仕事・やりたいことがメインになってきた。
母の入院という機会があったときは、子どもの養育に加え母のケアもあり、中学時代と同様の大変さがあった。民間サービスや公的サービス等を使用しながら乗り越えた。
自分のやりたいことをあきらめたくないという気持ちは30代になっても継続した。
40代になり、子どもが成長するとケアの負担は少しずつ減っていく。また、同じ世代の親御さんが自分のお母さんに近い状況になっているという話を聞くと、母の老化による変化も自然に感じられるようになってきた。
今は、自分も母も楽になる方法を考えていくようになってきた。道具やサービスなどいろいろなものを使えるように、考えられるようになってきた。自分が楽になるための方法でもある。選択肢が大きく広がることでお互いに楽になるし、私ではない何かによって母が助かるという状況ができてもいい。年を経るにつれ、健康状態・仕事・経済状況など周囲の家族にも様々な変化があり大変な状況になることは珍しくなくなる。他の家族も一緒なのではないかと思うようになってきた。
〇選択できることは力を得ること
お母さんのケアをするなかで、10代を乗り切ることができたという自信、周囲が認めてくれたことで自己肯定感が高まっていた。小さいころからケアをしているとやりたいことをやるとは思いつつ、あきらめてしまう・我慢してしまう習慣がついてしまい、自分が後回しになりがちになってしまう。自分のことを大事にしていいんだよという周囲のメッセージが大事。
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