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  • 執筆者の写真YCARP

【ミーティングレポート】第18回「30代以降に関わる、若者ケアラーのメンタルケアの重要性と、公的・インフォーマルな社会資源の必要性」

第18回定例ミーティング(2023年10月28日)

話題提供:Mackeyさん

テーマ:「30代以降に関わる、若者ケアラーのメンタルケアの重要性と、公的・インフォーマルな社会資源の必要性」


〇自己紹介

愛知県在住の50代、婚姻歴はなく実家近くで一人暮らしをしている。家族に父と母と兄がいる。 


〇これまでの経緯

中学2年生(14歳)頃、母親が鬱病を発症。自身は17歳の時に鬱病を発症、3か月の通院。21歳で再発して以降、通院・服薬を継続、2017年に双極性障害二型に病名変更。

16年ほど前から就労できていなかったが、昨年就労継続支援B型作業所に就労。

40歳辺りの頃、父親が脳梗塞を発症、10年ほど前から血管性認知症の症状が徐々に   進行。兄は問題行動が多く、家族問題に無関心。発達障害かもしれない。

 

〇家族の周辺環境

父親は16歳で母方の叔父の養子に、兄弟関係は良好なものの交流は少なめ。養父母とは関係が良好といえず母の発病後は更に関係悪化、自身が23歳の時に養子縁組を解消。

母親は母以外男性というきょうだい関係であり、母だけ進学などで不遇に合いそれが後の精神疾患に影響を与えた可能性もある(愛着障害の傾向)。発病当初は弟2人とは関係良好だったが、経過とともに協力が少なくなる。

兄は10代の頃から警察沙汰・家賃の滞納・借金等の問題行動などがあった。これが母の発病や症状悪化のきっかけに。現在は音信不通。サポートしてくれる身近な人がいない。


〇支援の中で感じた問題点について(時系列で)

①母の様子に変化が出てきて間もない頃

母の様子がおかしいという噂を聞きつけた近所の人やママ友が訪ねてくる。親切そうにしていても信用できない人たちばかりだった。2回目以降訪ねてきた人はほとんどいなかった。


②中学2年生の2学期頃から成績が低下

十分な睡眠が取れなくなり記憶力や集中力が低下、今考えるとうつ病の初期症状が出て  いたタイミングだった。早期治療ができるタイミングはここだった。勉強も家の事も、現代のようなスクールカウンセラーのいない時代で、学校の先生には相談する気になれず、むしろ信用できると思えなかった。友人に相談したかったが、状況を上手く説明できそうになく、相談しようとは思えなかった。


③高校時代~20代前半<大学進学断念と進路変更>

学業の遅れにより目標を喪失、高校は不登校気味に。メンタル不安定で、ケアしながら通学する自信がなく、大学進学を断念。専門学校を経て就職するも、1年たたないうちにうつ病を再発し退職。ヤングケアラーは相談する場がないまま、一人で進路を狭めてしまう傾向にある。進路を決めたり上手くいかない場合の軌道修正をしたりする時、将来を一緒に考えて適切なアドバイスをしてくれる伴走者的なサポーターが必要になる。


④23歳~30歳ごろ<アルバイト・就労と母の病状の悪化>

余裕がない状態で、キャパオーバーだと気付けなかった事が、不調や離職につながって  しまった。20代でもっとしっかりうつ病の治療に取り組めば、30代後半のメンタルの不調も深刻にならなかっただろうと思う。


⑤31歳~40歳ごろ<独り暮らしのスタートと両親の高齢化>

独り暮らしを始めて、家にいる間は四六時中母と顔を突き合わせる必要もなく自由に動  ける時間が増えてストレスが減ったように感じ、しばらく平穏に生活できた。

自身と母の体調不良の頻度が増加、メンタルの不調も深刻化する。何を決めるにしても母の事を最優先に考える思考回路になっていた。仕事をやめてしばらく治療に専念する事に…。収入が確保できなくなり、再就職が難しくなるかもしれないという不安があった。心理カウンセリングを開始し、3年ほど経った頃に効果を実感する。かつてのフラッシュバック等の頻度が減少した。


⑥41歳~48歳ごろ<資格取得に向けた準備>

自分の調子も一旦落ち着き、父母の症状の変化も少ない時期だったため、本格的に介護  が始まる前のこのタイミングを逃がせないと思い、資格取得の準備を開始したが、乳がんになって断念。

母の主治医とのコミュニケーションのむずかしさがあった(患者家族の置かれている環境にあまり関心を持たれず、「家族なのだから当然」という考えの主治医であったため)。

介護サービスの利用を開始し、負担が減少し、ケアマネや介護スタッフが相談に乗ってくれる事で自分自身に目を向けやすくなった。

障害者本人のサポート体制を整える事が、ケアラーの負担を減らす一番の方法だと感じた。

認知行動療法(考え方の癖を修正するための行動療法)を受けはじめ、様々な場面で物事を客観視できるようになり、生活が楽になった。


⑦49歳~現在<父の死と今後の就労について>

父の入院と延命治療。覚悟はできており、そこまで動揺はなかった(心理カウンセリングや認知行動療法を受けた事の影響)。

父の死後、自分自身の生活基盤を立て直すために母のケアは父がいた時と同じくらいの  ペースにとどめる事にした。母は調子が不安定になると暴言や人格否定のような事をいうようになった(これも心理カウンセリングや認知行動療法を受けていなければ耐えられなかった)。就労については15年のブランクがあり、仕事の感覚を取り戻すために就労継続支援B型作業所に通所開始。今は、自身のケアをしてくれる人がいない事や経済基盤の確保などの不安がある。


※障害者福祉制度から介護保険制度への移行の問題点

障害者福祉制度は個々のニーズに合わせた無償提供のサービスが多いが、65歳で有償の介護保険制度への移行を促される。障害者福祉制度の利用は、支援相談員等複数の人が関わってくれる事で障害者本人もケアラーも社会資源との繋がりができるので、早い段階での利用はメリットも大きい。介護保険制度は助かる部分が非常に多いが、精神障害や認知症等、身体不自由がない場合は要介護度が低くなりがちで実情に合わず使い勝手が悪い部分もある。介護保険制度の利用の際は先に障害者福祉制度のサービスを利用しておいたほうが手厚いサービスを受けることができるように思う。


〇ヤングケアラーの心身のケアについて

精神障害のケアラーは、患者が相手が子どもであると意識しないまま攻撃的な言動をする事が続き、日常的に長期間繰り返されることにより心身の不調をきたして、ケアと直接関係のない場面で問題が長期間起きている場合があり、何とか解決する手だてを考える必要がある。

ケアラーそれぞれに適したカウンセリングや定期健診等がしっかり受けられ、必要なケ  アを十分に受けて心身の健康を保つ事ができる仕組みや、社会的な理解やサポートがあ  ると良い。


〇おわりに

ヤングケアラーとしてプライベートを充実させる事が難しい状況の中で、若者ケアラー  になってからもそのままの生活を続けていれば、その後の人生に必要な人間関係を作っ  たり様々な経験(結婚・出産や仕事のキャリア)を積んだりする機会を逃してしまう可  能性が高い。

40代以降にはこれまでと少し質の違う、介護などのケアが加わりそれまで以上に自分  の生活を優先しづらくなる。20代・30代で一旦家を離れて、自分自身の人生・生活・メンタルをできるだけ確立する方が、40代以降の人生にプラスになると思われる。若い世代のピアサポートの場を増やす方法を考える必要性。ケアに関する手続き(入院や介護関連・障害関連)をワンストップにできる仕組みで障害者本人やケアラーの負担を減らす。

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